
こんにちは、ラクス技術広報です。
2026年7月15日、主催イベント「RAKUS AI Conference 2026 Summer」を開催しました。本記事では、楽楽精算 開発3課の平川裕多さんが発表した「仕様駆動開発、導入半年。『本当に速くなってるの?』にデータで答える」について、技術広報がレポート記事でご紹介します。
この記事はこのような方におすすめです
- AI活用で実装は速くなった気がするのに、なぜか設計やレビューの負荷が増えていると感じているエンジニアの方
- 仕様駆動開発(SDD)の導入を検討している、あるいは導入したものの効果を数字で説明できずに悩んでいる方
- 「AIネイティブな開発」を、感覚ではなくデータで語りたいと考えているエンジニアの方
【目次】
- 「それ、本当に速くなってるの?」に答えられなかった半年
- 仕様駆動開発に"飛びついた"というのが実態でした
- 上司とメンバーからの"ツッコミ"と、1年分のデータを掘る決意
- データを掘って初めて分かった、3つの指標の意外な共通点
- 3つの指標から見えてきたもの
- 正直に語られた課題と、「仕様を決める力」への投資
- 終わりに
「それ、本当に速くなってるの?」に答えられなかった半年
平川さんのチームが担当するのは、経費精算クラウドサービス「楽楽精算」のモバイルアプリです。iOS、Android、バックエンド、フロントエンドという複数のプラットフォームを、6名のエンジニアがアジャイルの2週間スプリントで開発しています。
ここ1〜2年でAI活用が本格化し、個人の実装スピードは体感としても数字としても間違いなく上がったといいます。コードを書く作業は、以前ほど開発のボトルネックではなくなりました。
ところがその裏で、3つの問題が起きていました。
- 意図のよく分からないコードが混ざるようになったこと
- レビューの負荷に偏りが出るようになったこと
- テストフェーズになって初めて「考慮漏れ」に気づく事故が多発するようになったこと
設計段階で気づかず、後工程で発覚するほど、修正のコストは高くつきます。
「早くはなったけど、何か別のものを払っている感覚があった」
この違和感から生まれたのが、「AIで早くなった裏で、本当は何を払っていたのか」という問いでした。
仕様駆動開発に"飛びついた"というのが実態でした
この問いに対して、平川さんたちがたどり着いたのが仕様駆動開発(SDD)でした。ただし、最初からSDDを狙って導入したわけではなかった、と平川さんは振り返ります。
最初にやっていたのは、今まで手で書いていた設計書をAIに書かせて時短できないか、という「AI設計テンプレート」的な試みでした。それを1ヶ月ほど地道に作り込んでいたそうです。ちょうどそこに、世の中で「仕様駆動開発」という言葉が流行り始め、「これ、自分がやりたかったやつだ」と思ったといいます。慎重に比較検討して選んだというより、飛びついたという感覚の方が実態に近いと振り返ります。
飛びついたあとで、あらためて「なぜ他のやり方ではなくSDDだったのか」を整理しました。
- Planモード:AIがタスクを組んでくれて便利だが、結局それを使うエンジニア個人の能力に依存する点で、直接指示と本質的に変わらない
- テスト駆動開発(TDD):リファクタリングには強いが、そもそも仕様がブレていればテスト自体が空中分解してしまう
Planモードの質もTDDのテストの質も、たどっていくと結局は「仕様」に行き着く。だったら一番上流の「仕様」そのものを中心に据えるのが筋が良い、という腹落ちだったとのことでした。
具体的には、マークダウンで構造化した自然言語の仕様書を使い、設計そのものをPRとしてレビューする運用を敷きました。とはいえ、自然言語の成果物にはコードのようなリンターもテストも効きません。「問題ない」と判断するにはしっかり読む必要があり、コストがかかります。仕様を構造化したり重複を減らしたりという地味なチューニングを、今も積み重ねている最中とのことでした。
上司とメンバーからの"ツッコミ"と、1年分のデータを掘る決意
SDDを始めてすぐ、突っ込まれる日々が始まりました。
上司からは「それ本当に早くなってるの」「設計に時間をかけている分、トータルで遅くなっているんじゃないの」という声。メンバーからは「設計フェーズが大変になった」「一番頭を使う部分が重くなった」という声が上がりました。
この2つのツッコミに、感覚で「いや、早くなっていますよ」と返しても説得力がありません。そう考えた平川さんは、1年分のデータを本気で掘り返して検証することにしました。
なお、平川さん自身「そもそもSDDを品質のために入れたわけではなく、狙いは実装を誰がやっても同じ質にして属人性をなくすことだった」と前置きしています。この後の検証結果は、当初の狙いとは別のところで平川さんたちを驚かせることになります。
データを掘って初めて分かった、3つの指標の意外な共通点
AIもアジャイルも定着した時期以降のデータに絞り、フェアな比較を心がけたうえで、3つの指標を見ていきます。
指標①:時間
実装フェーズの数字は、確かに速くなっていました。ただし、その「速さ」の正体を追うと、後工程にあった意思決定の負荷が、設計フェーズに前倒しされただけでした。たとえば「複数ある実装方針のどれを採用するか」という判断は、SDD以前は実装しながら決めることもありました。今はそれを設計のタイミングで行います。AIが選択肢を出してくれる分、考えるのは楽になった場面はあるものの、最終的にどれにするかを人間が決め、レビューやステークホルダーの合意を得る必要がある点は変わりません。SDD自体は時短策ではない、というのが平川さんの見立てです。
指標②:レビュー
1つのPRあたりの他者からのコメント数は、中央値がずっと1でほぼ横ばいでした。レビューの総量そのものは減っていません。ただし中身は変わっていました。実装PRで「この仕様どうなってるの?」という揉め事が減り、その議論が仕様レビューの場に前倒しされたのです。レビューが純粋なコード品質チェックに近づいたという意味では狙い通りですが、「楽になった」わけではなく、「議論する場所が移った」というのが実態に近い、と平川さんは説明します。
指標③:バグ(事故)
バグの発生件数そのものは、劇的には変わっていませんでした。ただし2つの変化がありました。1つは、1件あたりの対応時間(※着手からテスト完了までのリードタイム)が17時間から11時間に短縮したこと。もう1つが、平川さんいわく「これが大きい」変化でした。以前は1スプリントで20件を超えるような"バグの大爆発"が起きることがあったのが、最大でも8件程度に収まるようになりました。事故の数ではなく、事故の振れ幅が小さくなったということです。 なお、この集計はテストまで完了したスプリントのみを対象にしており、サンプル数はまだ多くありません。平川さん自身、断定ではなく傾向として見てほしいと、数字の限界を率直に語っていました。
3つの指標から見えてきたもの
3つの指標を並べると、見えてくるものがあります。時間もレビューも、内容は移っただけで総量は変わらず、バグは件数こそ横ばいながら振れ幅が縮みました。
ここから導かれる結論を、平川さんはこう言い切ります。「SDDの本当の成果は、速さじゃない」。開発そのもののスピードは、AIをガムシャラに使っていた1年前とほとんど変わっていません。得られたのは、予測可能性でした。裏を返せば、以前ガムシャラに速度を出していた頃、代わりに払っていたのは、この予測可能性だったのです。
平川さんはこれを具体的なエピソードで語っていました。怖いのは、バグ修正にかかる時間そのものより、「何件出るか読めないこと」だそうです。2週間スプリントの7日目まで予定通り進み、残業もせず帰れていたとします。それなのにテストでバグがたくさん出ると、残り数日で焦って対応するか、別スプリントに送るかという判断に迫られ、計画が崩れます。SDDによって仕様の検討が上流に寄った結果、この「予想外の大爆発」が起きにくくなったのです。平均的な件数は大きく変わらなくても、最悪のケースが消えて振れ幅が縮み、立てた計画が、そのまま計画として機能するようになりました。
そしてこれは、働きやすさだけの話ではありません。事故で開発が止まらないということは、顧客に安定したペースで価値を届け続けられるということでもあります。予測可能性は、顧客への価値提供の土台でもある。平川さんはそう位置づけていました。
正直に語られた課題と、「仕様を決める力」への投資
SDDは時短の手法ではなく、決めごとの総量も変わりません。それでも品質と予測可能性への投資だった、というのが平川さんの結論です。実装スピードそのものは変わらなくても、速さの出方が変わりました。昔は事故が起きるかどうか読めないまま勢いで速度を出していたのに対し、今は上流で足場を固めてから、同じ速度を読める形で出している。アジャイルを捨てたわけでもなく、2週間スプリントという枠のなかで「決める位置」を前にずらしただけだ、という整理も印象的でした。
ここで終われば美談ですが、平川さんは課題も正直に語っていました。時間もレビューも総量は「移っただけ」で減ってはおらず、総量そのものをどう減らすかは宿題のままです。さらに、レビューを上流に寄せた結果、今度は仕様レビューの方が渋滞するという新しいボトルネックも生まれています。
興味深かったのは、仕様が設計段階で固まることで、そこからテストを作るのも楽になるという発見です。固まった仕様を起点にすれば、テスト設計やユニットテストを考える時間も減り、AIに任せられる部分も増えます。上流で固めた仕様を、テスト作成の自動化にそのまま流し込む。この接続を今まさに模索しているそうです。
またメンバーの「設計フェーズが大変」という声の実体は、仕様書を作ったあとのモブレビューではなく、その前段階、個人がローカルで仕様を練っている時間が最も頭を使う、というものでした。ここに「ループ」や「ハーネス」といった仕組みを当てはめ、機械的に拾える考慮漏れはモブレビュー前に潰しておきたいとのこと。ただし、モブレビューそのものは残したいとも話していました。人を育てる場であり、テックリード一人がすべてをレビューしなくても、メンバー同士でレビューが回るようになる効果もあるからです。自動化するのは生成の負荷にあたる部分で、人間の判断や育成の機会は残す。この線引きを大切にしているとのことでした。
この先の展望として、平川さんは「ループエンジニアリング」という考え方も紹介していました。海外のAI開発ツールの責任者が「もうAIに指示は出していない、自分の仕事はループを書くことだ」と話しているそうで、その考え方の提唱者とされる人物も「これは仕事が簡単になったわけではなく、レバレッジの効く点が移っただけ」と釘を刺しているとのことでした。これは平川さんが今回データで語った「決める場所が上流に移っただけ」と、驚くほど重なる指摘です。その人物はさらに、全部を自動ループに任せればプロダクトの品質は落ちるとまで話しているそうです。つまりループは「何が正解か」の判断までは代わってくれません。その「何が正解か」を上流ではっきりさせるのが、まさにSDDです。ループの時代が来るほど、その前段にある「仕様を決める力」の価値は上がっていく。開発をAIに委ねても、「何が正解かを決めるカロリー」だけは人間に残る、という見方を示していました。
予測可能性が手に入るということは、AIに安全に任せられる範囲が見えてくるということでもあります。読めないものは任せられませんが、振れ幅が小さく読めるものなら任せられます。その範囲を安全に広げていけば、いずれボリュームが増え、トータルのリードタイムも縮んでいくはずです。平川さんは、今回手に入れた予測可能性を、その先の自動化を安全に広げるための「足場」だと位置づけていました。
終わりに
時短にはなっていない、新しいボトルネックも生まれた。それでも正直に数字と向き合う姿勢そのものが、AIネイティブな開発組織のリアルなのだと感じます。「なんとなく速くなった気がする」で終わらせず、データで自分たちの仮説を裏切る勇気を持てるかどうか。仕様駆動開発を検討している方にとって、平川さんの検証プロセスそのものが参考になれば幸いです。
当日の発表資料はSpeakerDeckで公開しています。ぜひあわせてご覧ください。
- 発表資料
なお、8月下旬ごろに発表のアーカイブ動画をラクスエンジニア情報ポータルサイトにて公開予定です。
- ラクスエンジニア情報ポータルサイト
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・AIを載せることはゴールではない。ラクスCTOと開発副本部長が語った、組織とプロダクトの変革・顧客の声から生まれた『AI返信補助機能』の開発プロセス
・楽楽精算AIエージェントを支える、LLMOpsとインフラの選択肢
ラクスでは、こうした「顧客志向」と「AIネイティブ」の両方を大切にしながら、地に足のついた検証を重ねる開発組織を、一緒に作っていく仲間を募集しています。ご興味を持っていただけた方は、ぜひ採用ページもチェックしてみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました!